1980年代から第一線でアニメ、ドラマ、CM、ゲーム、舞台などジャンルやメディアを超えて数多くの劇伴を手がける日本を代表する作曲家、川井憲次氏。今回は、Antelope Audioユーザーでもある川井氏に機材のことや、プライベートスタジオのAUBE Studio、そしてその作曲作業についてお話を伺うことができました。

メインコンソールにSSL9000Kが鎮座するプライベートスタジオのAUBE STUDIO。制作の作業の際、こちらのスタジオでどこまで作業されるのでしょうか?

打ち込みやベーシックの録音、そして自分のギターやパーカッション等の特殊楽器の録音に関してはここで行います。そしてここでは録れないようなオーケストラなどの録音をする際は、ここで作り上げたデータを外部スタジオに持って行き、それを元に収録を行います。そうして録音したデータをまたこのスタジオに持ち帰り、ここでミックスをするという流れです。

作業のほとんどがこのスタジオで行われているということですね。となると機材選びでのこだわりもかなりありそうですが?

いいえ、こだわりというのは実はなくて、ただ、人から勧められたもの、評判の良いものを中心に揃えてきたらこうなりました。元々はレコーダーとしてSONY PCM3348を使っていたんですが、それが今ではPro Toolsになっています。当時からこの作業のやり方自体は変えていないので、Pro Toolsはマルチトラックレコーダーとして使っていて、素材をSSLに立ち上げてそれを僕がSSLでミックスをしています。

川井さん自らミックスまでを行うんですね。

はい、僕がコンソールでアナログミックスをしています。実は2005年か2006年くらいまではエンジニアがミックスしていましたが、それ以降は自分でやるようになりました。ただ、今でもオーケストラなどの生楽器を録る時は外部エンジニアと作業しています。

川井さんはAntelope AudioのPure2を採用されていますが、Pure2はこちらのワークフローの中でどういった使い方をされているのでしょうか?

基本的にSSLでアナログミックスした2MIXをProToolsに最後プリントして納品データを作るんですが、その際のSSLからのステレオのADコンバーターとして、そしてMaster Clockとして使用しています

どうしてPure2を採用された経緯をおしえていただけますか?

元々ミックスするエンジニアがDSC社の902というADコンバーターがいいからというので導入していたんですが、それがあるとき壊れてしまって、修理することもできなかったところ、知り合いにAntelope AudioのEclipseを勧められたのがきっかけで、Eclipseを使っていました。非常に使いやすくて音も好きでしたね。次も使うならAntelope Audioの製品が良いなとは思っていたので、現在その後継機種ともいえるPure2を採用しています。他のメーカーのコンバーターもいろいろあって色々実際試したんですが、うちのスタジオで機能的に使いやすいのはやはりPure2だったということです。以前Eclipseを使っていたということもありますが、作業環境を変えることなくそのまま入れ替えができたというところが大きいです。それとやはりうちのスタジオの作業環境との相性が良いと感じます。ルーティングもわかりやすく、またマニュアルでの設定もできるという使い勝手の良さも魅力です。

ここから少し作業の具体的な話を伺わせてください。作曲作業の際、最初からどのチャンネルからどの楽器を鳴らそうなどサラウンドのことを考えて作っているのでしょうか?

それはほとんど考えてないです。よほど最初から指定があれば別ですが、基本的にはダビングの現場にお任せしていますね。

作曲の際のインスピレーションはどこから得ているのでしょうか。

監督の希望と作品が何を目指しているか、から考えるしかないです。自分がこうしたいああしたいという意志よりも、監督やプロデューサーの意見を尊重しています。ただ、映画やドラマを普段見ないので、監督から、何々風に、と言われてもわかんないんですけど。普段、家ではバラエティ番組を観たり、音楽はバート・バカラックばっかり聴いてますね。

Antelope Audioはブルガリアに本社があるメーカーなのですが、Ghost in the shellの曲は、実はブルガリア音楽からインスピレーションを受けたという話を伺いました。

元々、監督が太鼓だけで国がわかない音楽を作りたいと言っていたのですが、パーカッションだけでは映画音楽としては表現がしづらいししきれない。太鼓の音を生かしつつ表現ができないかとは思っても、例えばオーケストラを入れたら太鼓の音はかき消されてしまう。もっとシンプルなものがいいんじゃないかと。その当時ブルガリアンボイスが日本に入り始めて、試しに太鼓のベーシックトラックにかぶせてみたら非常にかっこよくて、監督も気に入ってくれたんです。それじゃあブルガリアンボイスを入れようと現地にもコンタクトを取って依頼をしたんだけど、「こちらは民謡だから譜面に書いたものは歌えない」というふうに断られてしまったんです。どうしようかと思っていたところで、別の案件で日本の民謡歌手をお囃子で呼んでいたことがあって、その方々にお願いできないかと思ったんです。日本の民謡では和声コーラスという形態はないんですが、試しにデモを作ってみたらすごくかっこよかった。それで日本人でやるなら「日本語の詩をつけよう。それも古い大和言葉を使ってみたら?」ということになって、出来上がったのがあの攻殻機動隊なんです。

川井さんは香港映画の「イップ・マン」の音楽も手掛けておりますが、どうやって香港映画に携わるようになられたのかその経緯をお聞かせください。

攻殻機動隊の「イノセンス」がカンヌ国際映画祭にノミネートされた時、その審査員をやっていたのが香港映画監督のツイ・ハークさんで、それをきっかけに彼が「川井に連絡を取りたい」となって、映画「セブンソード」(原題:七劍)の音楽を依頼を受けました。その映画に出ていたのがドニー・イェンさんで、その後彼から映画を作るから音楽を依頼されたのが「DRAGON TIGER GATE/龍虎門(邦題:かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート)」でそれが僕が携わった香港映画2作目になりました。で、それとはまた全然違うストーリーでもう一本やるからと言ってやったのが、「イップ・マン 序章」(原題:葉問)でした。

これまでの制作の中で大変だったエピソードがあればお聞かせください。

「イノセンス」の時に、時間と予算があったので、監督がオルゴールが欲しいとなった時に、実際にオルゴールのディスクを作りました。オルゴールの機械自体は日本の三協精機(現 ニデックインスツルメンツ株式会社)というところで作ってるんですど、ディスクはオリジナルで作ってもらって、それをスタジオで録音して、さらにそれを栃木県の大谷採石所に行ってスピーカーをたくさん仕込んで、それを大きな音で鳴らして自然のリバーブを録りました。それから民謡歌手は前作のGhost in the shellの時は3人で5、6回とダビングをして作っていたんですが、監督が「今回は100人集められないかな?」と言ったんです。そもそも民謡歌手がそんなにいるのかな?集められないだろうな、とは思ってたんですが、結局それでもなんとか75人をホールに一斉に集めて歌ってもらいました。あとになって、まさか本当にやるとは思わなかった、と監督が言ったことはここだけの話です

最後に、これから映画音楽をつくりたいという人に向けてのアドバイスをお願いします。

僕はアーティストではないんですよ。職人だと思っているんですね。人からこういうものを作れと言われて作る作曲家です。もちろんアーティストの方もいらっしゃいます。ただ、どちらにしても言えることは、最終的に判断するのは自分の感性なので、自分の判断というものを信じて欲しいです。結局良いか悪いかは自分で判断するしかないので、自分の感性を信じるということ。あと、自分の気に入っている曲を深く聴いて欲しいです。真似をするということではなくて、その音楽の根底にある魅力を探って欲しいです。僕はバート・バカラックの曲が大好きなので、その根底にあるものを今でも探しています。それが自分の感性に大きく影響していると思います。

ただ、その感性が間違ってる場合もあるんですけど(笑)。その時はごめんなさいということで。

川井憲次  

1957年4月東京生まれ。
ギタリストとして活動した後、押井守監督作品「紅い眼鏡」で映画デビュー。
主な作品に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』『リング』『DEATH NOTE』『GANTZ』『セブンソード』『葉問〜Ip Man』TVシリーズでは「らんま1/2」「機動警察パトレイバー」「ワールドトリガー」「刀剣乱舞-花丸-」等アニメーションの他「科捜研の女」「花燃ゆ」「ウルトラマンジード」「仮面ライダービルド」「まんぷく」等のTVドラマ、NHKスペシャル「沸騰都市」「未解決事件」「人体 神秘の巨大ネットワーク」等のドキュメンタリーも担当。海外作品では、フランスドキュメンタリー番組「よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~」の他、香港映画「セブンソード」「「イップ・マン 葉問」「親知らず」、合作映画「墨攻」等を担当。